😕 漫画[キングダム]671話でついに6大将軍制度を復活させた秦軍、
マンガ内では紀元前234年の出来事ですが、紀元前221年中華統一まであと約13年。
今回は、秦王 嬴政が即位から中華統一までの20数年ので重要出来事を年表としてまとめてみました。ネタバレが含まれています、希望しない方は戻るボタンをクリックして他サイトを閲覧することをお勧めします!
まとめ
今回まとめをして分かったことは
1.秦が最初に韓を滅ぼしてから中華統一までかかった年数は10年以下
2.秦は策略(ワイロ)によって実質2か国を滅ぼした
武将の宝庫であると共に、内政や戦略にも優れた人物が勢揃いだった
3.蒙家と王家の貢献は絶大。
特に王翦と王賁親子は6か国中5か国の滅亡に主要人物としてかかわっている。
蒙驁は前秦王の時から多大の功績を残し、子の蒙武は武将として名をはせ、孫の蒙恬は中華統一後10年以上北の匈奴から秦を守り続けた。
4.合従軍は5度あって、漫画では第4次と第5次を混合して描いた。
(もし史実通りに描いたら、One Pieceでいうと頂上戦争が連続で2回起こる。確かにそれだとクライマックスが分散して面白みが減るかもしれません 🙄 )
5.史実では、蕞へ赴き秦史上最大の危機を守ったのは呂不韋だった。
昔の時代、商人の身分は最も低かった!なのに国の丞相までなった呂不韋は本当にすごい人物
6.龐煖(ホウケン)は武将ではなく、戦略家として歴史に名を遺した。
そして驚くことに合従軍の時すでに80歳くらいのおじいちゃんだった!
7.秦の右丞相である昌平君は後に燕の王として秦に敗れる。
8.桓齮(カンキ)は李牧に敗れて戦死することになるが、樊於期という名で再登場するかも?
史実では樊於期(ファンウージ ?)は成蟜(セイキョウ)を唆して反乱を起こし、その後燕へ亡命したと書かれています。その為、秦王は樊於期を捕らえて処刑しようと考える。
燕もまともに秦と戦うだけの戦力がないので、自国の地図と樊於期の首を差し出す理由に秦王に近づき、暗殺を企てることになります。
樊於期の資料があまり残ってないため、諸説では桓齮が李牧に大敗して秦に帰れないと思い、名前を変えて燕に逃げたのでは?と言われています。漫画[キングダム]では樊於期はまだ未登場ですが、暗殺の件は中国では有名な話ですので、今後出てくる可能性は大きいです。
このあたりは原先生の思い描くストーリーに期待!
最後に
個人的に史実通りに描くなら王賁こそ主人公っぽいと思います、しかし李信の20万人戦死と比べて、失敗らしい失敗がない上、資料も比較的残っているため漫画としてのフィクションは制限されます。
これらの理由から李信が選ばれたのではないのでしょうか?
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